明治政府(めいじせいふ)の基本的(きほんてき)な政策(せいさく)を示(しめ)した5つの条文(じょうぶん)。明治維新(めいじいしん)のさい,京都御所(きょうとごしょ)内の紫宸殿(ししんでん)で,明治天皇(めいじてんのう)が新政(しんせい)の根本方針(ほうしん)を神にちかう形で示(しめ)したもの。はじめ越前藩(えちぜんはん)(福井(ふくい)県)の由利公正(ゆりきみまさ)と土佐藩(とさはん)(高知(こうち)県)の福岡孝弟(ふくおかたかちか)が原案(げんあん)をつくり,それに木戸孝允(きどたかよし)が修正(しゅうせい)をくわえ,1868年3月14日に発表,「広ク会議(かいぎ)ヲ興(おこ)シ万機公論(ばんきこうろん)ニ決スベシ」など5項目(こうもく)の政治方針(せいじほうしん)が示(しめ)されている。
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